
- 私達は、韓国風~、日本風~、と日本や韓国だけにある独特の料理や飲み物についてお互いの国の食文化をもう一度見直すために調べてみました。
- まず、日本の台所にはどの家庭にでもある、料理の「さしすせそ」(砂糖・塩・酢・醤油・味噌)のようなものは韓国にもあり、やはり国が近いだけあって料理の味付けの仕方も似たようなものでした。
- ただ、韓国はコチュジャンという辛いものをつけたり料理にいれたりして料理自体に辛味をつけて食することが多いとのことでした。 韓国人が辛いものを好きな理由としては、韓国人は辛いものや熱いものを食べると発汗によって「涼」を感じるからだそうです。ですが、韓国人は辛いものの食べすぎで胃がんや味覚障害になる確率が世界中でも特に高いとのことでした。
- また、韓国風~の様に韓国にしかない独自の食べ物としては、
「ミルミョン」(小麦粉の練ったもの)や「スンデ」(豚の腸詰め)。スンデはソウルでは塩で食べられており、釜山はサムジャンという味噌とコチュジャンを混ぜた様なモノをつけて食べるそうです。
その理由としてはソウルの人々は、味噌など味の濃いものが苦手で薄味が好き。釜山の人々は逆に薄い味が苦手で濃い味が好きだからだそうです。 - また、「キムチ」も韓国独自の料理で「韓国のり」も韓国独自のもので、日本にも似たようなものはありますが、やはり味付けが全然違いとてもおいしいです。
- また、日本独自のものは「ダイコンやキュウリの浅漬け」や「熱燗(あつかん)」や「親子丼」や「ゴマだれ」などがありました。
- 韓国では暖かくされたお酒などはなく、日本の熱燗は良いといわれました。
- これは、韓国側の大使から言われて気づいた日本独自のものなのですが、ビビンバなど親子丼に似たモノも存在するので、やはり日本と韓国は地理的にも民族的にも近いので、人々の味覚や感覚などが似かよっているので、韓国独自といっても、日本で良く知られていたり、日本風にアレンジされて売りだされていたりしているので今回韓国の大使と話し合いをおこなった時にも、これといったものがなく大変でした。
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調味料や飲食の違い
九州産業大学 長峰晴香
韓国、日本料理の代表的調味料
釜山外国語大学 ペ・ジウン

- 日本料理の代表的調味料はよく日本語の平仮名の順で‘料理のさしすせそ’と呼ばれます。 調味料は料理により使用順序が決まっていることが多いが、この順序がすなわち‘さ(砂糖),し(塩),す(酢),せ(醤油),そ(味噌)’です。 砂糖が染み込んだ後に塩を入れれば食材の水分が減ることを防ぐことができ、酢は塩加減が染み込んだ後に入れることが普通です。 醤油も食塩をたくさん含有しているので砂糖より後に入れた方が良く、味噌は長く加熱すれば焦げ付きやすいので後で入れます。 日本料理には色々な調味料があって西洋料理に比べて種類が少ないです。 調味料はあくまでも食材の魅力を生かすのに使われるのであって、料理を作る時どの程度ずつの割合で配合されているのかにより甘み、塩味、酸味、しぶい味、こくなど色々の味が表現されます。 同じ分量の調味料を使っても野菜の水分や煮る温度差で微妙に味が変わります。 それで日本料理は調味料の配合と効率性がさらに重要です
- 韓国料理を特徴づける基本の味がネギ、ニンニク、粉トウガラシとすれば、日本固有の味はカツオブシ味ということができるでしょう。 だし汁の味を出す材料では昆布、煮干し、干し海老、シイタケなどがあるが最も愛される味はカツオブシ。 匠(たくみ)たちがカツオを蒸して乾かして薫製加工して作ったカツオブシのすがすがしくて独特の香りは、まさに日本料理の歴史と知恵です
- ※さしすせそ 1.さ=砂糖2.し=塩3.す=酢4.せ=醬油5.そ=味噌
- ◆釜山の代表料理
- 1.ナッチポックム
- タコは三国時代、ナクチェと呼ばれ、食生活に利用されたことが明らかになっている。この時の調理法は焼いたり煮たりした方式で、この方式は統一新羅時代までそのまま引き継いだと推測している
今私たちが食べているナッチポックムは1900年代初期にタコを炒めることから「ナッチポックム」に変化したと推測することができる。 釜山にナッチポックムが始まったことは今から39年前、ある飲食店にソウルから出張してきた人々の紹介で始まったのが持続的に伝播してナッチポックムが釜山の郷土料理として定着したと見られる。 - 2.刺身
- 我が国の刺身に関する最も具体的な根拠は17世紀初め朝鮮時代の粛宗王の時ホン・マンソンが作った「サンリム経済」に出てくる。 皮を剝いで肉を薄く切って薄い布地で水気をぬぐい取った後、ショウガやネギと刺し皿に盛って、薬味でからしを使うと記録している。
正式な史書ではなく在野の人が編さんした史書だから分からないが、辛屯(高麗末期の僧)がミミズの刺し身を作って食べたという話が高麗末期になるならば、日本での刺し身の記録が初めて現れたのが1399年だと見る時、日本および我が国の刺し身文化の形成がほぼ同じ時期と考えられる。 - 3.ヌタウナギ(コムジャンオ)
- コムジャンオはモクチャンオ(ヌタウナギ)の方言であり、主に慶尚道海域で棲息しているのに漁獲はせず、漁獲した場合もその形態が蛇と似ているから食べるのを敬遠していた。しかし、今は多くの人が好んで食べ、慶尚道地域では刺し身でも食べると“朝鮮統御辞典”を引用して記述している。
50年代以前の慶尚道、東海岸地域では水田や畑で作業中、漁獲されたコムジャンオをすぐに松葉に燃料を入れて火をつけて焼いたことが、コムジャンオの炭火焼きまたは松葉焼きの始まりとなった。また、6.25避難時代の避難民は空腹だからという理由で腹を満たすために食べることになった。需要の増加に伴い、価格が形成されていったコムジャンオに塩を振りかけて焼いて食べ始めたのが塩焼きの元祖であり、主にチャガルチ市場で出来上がった。
コムジャンオ焼きは、70年余に達する長い歳月の中で庶民と哀歓を共にした食べ物であったし、現在は会社員のストレス発散食べ物(焼酎のおつまみ),食い道楽の食べ物、身土不二としての郷土食、健康的食べ物、故郷の郷愁を味わう食べ物で、老若男女が楽しむ健康食、スタミナ食である。 - 4.フグ刺し、ポックク(フグちり)
- 釜山地域のフグ料理が有名になったのは他地域に比べ、フグの流通量が豊富で常時新鮮なフグを購入できるフグ料理専門店が多いからだ。 また、フグを安全に料理できる除毒技術が蓄積されており、他地域に比べて嗜好(しこう)とレシピの側面で際立っている。
以前には家庭で飲みすぎた後、二日酔いを解消するためや寒い冬に珍味の汁もの料理としてポックク(フグちり)を炊いたが、最近は会社員らのヘジャングク(二日酔いざまし)で、フグ料理専門店を好んで訪ねて行く。ポッククは飲酒後体内の中に残留するアルコール分解を促進して消化を助ける栄養食と見なされて、多くの人々が利用している。 - 5.チェチョプクク
- チェチョプククは本来、チェチグク(しじみ汁)が語源変化を起こしてできた名前だ。シジミはとても小さくて身が取れにくいため慶尚道の方言でチェマリ(残りかす、くず)とした。 シジミは殻全体を横線が囲んでいて色は暗褐色または濃厚な黒い黄色であり、内側は赤紫色で大きさが20~30㎜程度だ。
シジミがいつから食材として使われたのか正確には分からないが、大部分の貝類は初期鉄器時代の遺跡の慶南、金海市に見られ、新石器時代以後と推測することができる。シジミを捉えることができる器具が発達した高麗時代以後からだと推定される。
6.25事変(朝鮮戦争勃発)の時、釜山に多くの避難民が常駐することになり、洛東江(ナクトンガン)でたくさん捕えられたこのシジミは、朝早く仕事をしにでかける人々の体を温めるヘジャングクであり、チャガルチ市場をはじめとして釜山の路地ごとにチェチョプククをバケツに入れて売り歩いたところ“チェチョプクク買うてえな”と方言で叫ぶ女性らの姿で、昔の釜山の土俗的な食べ物と伝えられている - ◆韓国、日本食文化 ― 弁当
- 日本の弁当は遠足やピクニックに行く時だけでなく生活の中で日常的に利用する一つの食生活として定着している。 特に会社員らはお昼の時間に食堂を利用するのと同じぐらい弁当をしばしば利用する。直接自分が弁当を作る場合もあるが、大部分は店で弁当を買って食べる。 コンビニエンスストアやマートで売る弁当もあるが弁当だけ売る専門店も相当多い。 特に会社周辺には大小の専門店があって会社員らが列をつくって買う姿をよく目にする。 特異な点は、専門店でない一般食堂でもメインメニューを弁当として作って売ったりすることだ。 店内ではお客さんらが注文して食べ、外では同じメニューを弁当として売るのだ。 この頃は店を構えず、車で移動して弁当を提供する場合も多い。 車に厨房(ちゅうぼう)施設を整え、注文を受けてその場で作ったり、作ってきて売る場合もある。
弁当メニューも多様だ。 全国的なチェーン店は洋食、中華、日本式など多様なメニューを整えていてこの頃はビビンパやプルコギなどの韓国料理メニューも人気がある。 代表的な日本式弁当は幕の内(幕間)といい、江戸時代の観劇の幕間に食べたことに由来して、魚や肉など多様なおかずが入っている。
それに対して韓国は遠足や登山など各種行事がある時、両親や友人同士で弁当を作る。最近は韓国でも大小の弁当専門店ができて自炊生や会社員らが利用する傾向にある。 - ◆ 日本式韓国料理 ― トックク(雑煮)
- トッククは真に珍しい食べ物だ。 餅をスープで。 餅を西洋のパンだとするならば、パンを入れて煮て食べるスープが世界のどこにあるだろうか。
日本でもトッククと似た「お雑煮」を新年に食べるが 韓国のトッククとは姿が大いに違う。 粘りけのあるもち米で作った餅をお吸い物のような汁に入れるのが一般的だ。
麺でも、ご飯でもない特別な形式を整えたトッククを煮るには数多くの複雑な過程を経る。 米を搗いて杵でついた後、長く伸ばす。蒸して軽く乾かして切らなければならない。 ハン・ソクポンのお母さんのように斜めにそろえて切らなければならない。 大家族でトッククを数十杯出そうとするなら、一日中餅を切らなければならない。 このように作られた白い餅は日持ちがして、あれこれ使い道も多い。
次はスープを作る番だ。 スープを作るには以前からキジ肉を主に使った。 ケソン(開城)のトッククが有名なのも、チョレンがトッククを煮るのに使った西北地域のキジはおいしいことで有名だったためだ。 最近では普通、正月のトッククに牛の四本足の骨と牛肉でスープを作る。 ‘キジ代わりに牛’という訳だ。 カキやアオノリを入れてもおいしい。
ここにコミョン(装飾を兼ねた薬味)が載る。 タマゴを薄く焼き、細く切った錦糸卵と牛肉をゴマ油と醤油に炒めて粉海苔や糸のように細切りした唐辛子などのコミョンをいちいちのせなければならない。本当に手がかかる貴重な食べ物だ。 今は通常の粉食店に行けばトッククやトンマンドゥッククを味わうことができるが本来このように大事な食べ物だということを知っておかなければならない。
トッククは、いつから歳饌(正月のご馳走)に上るようになったのだろうか。正月のご馳走は新羅の時から伝えられる長い間の風習。 朝鮮時代になってトッククとギョーザスープを基本とする食膳が完成されたと伝えられる。 だが、朝鮮常識問答(チェ・ナムソン)等の書籍を見ればトッククは上古時代から食べてきたという説がある。 今日のトッククではないが、当時主食だった餅を水に入れて煮るのを最初に考案して出したのだ。
どの地域であろうともトッククは澄んだ汁を基本とするけれど、 このために漢字では餅湯、 または白湯と記す。 さらに一歳年を取ったのを記念するため、酒と肉で心を込めて整えた正月のご馳走を食べるのに‘メイン ディッシュ(Main Dish)’が雑煮(トックク)だ。 新年を迎えて一歳増した年齢を尋ねる時、遠回しに「トッククを何杯食べたか?」と聞くのもトッククが正月のご馳走の中でも代表的な料理であるためだ。
歴史文献の中で雑煮(トックク)に対する最も古い記録は東国歳時記とヨリャン歳時記で発刊時期で見れば19世紀始めの書籍。 口から口へ言い伝えられた歳時風俗を書いたのだ。 本に出てくるトッククは今のものとたいして変わらない。 トッカレを長く延ばして包丁で切って作った形にすると‘お金’のように感じるけれど。 福が来るよう祈る意でトッククを食べた。
日本のお雑煮は正月に誰でもが食べる、モチを主材料で使った汁料理だ。古くから餅は日本人にも特別なごちそうだった。 日本では正月に家庭の神棚や居間にカガミモチ(鏡餅)を飾った後、この餅でお汁粉を作る。 新年に家庭幸福を祈ってお雑煮を食べる姿は日本の正月の風物詩だ。 - 本来は日本の武家支配層が食べた料理で、餅と野菜、乾物などを共に煮た戦闘用料理と推測されている。 これが順次儀礼的食べ物として一般庶民らに広く知らしめられる、色々な食材を入れて煮るのでこれをニマゼ(煮雑)と呼んだ。汁の味、餅の調理法など地域により色とりどりの魅力を見せるお雑煮。 餅の形も東日本は‘四角形’、西日本は‘丸型’で地域ごとに違う。 醤油味で食べる名古屋地方、魚やかまぼこを入れて食べる北陸地方、小豆をアメで煮つめる山陰地方など地域ごとに、入る材料によってもその種類を数えるのが難しいほど多い。
お雑煮の地域的多様性は、この料理が古くから日本各地に深く根を下ろした料理であることを言う。 14世紀にはすでにお雑煮の原形があったという。韓国の人々がトッククと共に一歳、年を取ると考えるように日本の人々もまた、お雑煮を食べてこそはじめて一歳年を取って正月気分を出すという。
